2013年12月29日日曜日

やれる人がやる

さっき別ブログに娘の「くるみ割り人形」ネズミ役出演のことを書いたのですが(→)、その中で思い出したことがひとつ。

それはボランティアのこと。

一応プロのバレエ団の公演ではあるのですが、劇団のスタッフだけでは足りずに親のボランティアが大変重要で、期間中一家族最低4回は何かボランティアをしてくださいということになっています。

内容はリハーサルや本番の日のチェックイン・チェックアウト、ネズミなど小さい子たちの待ち時間の子守り係、メイクアップやヘア係、劇場案内係など。私もチェックイン・チェックアウトやネズミの子守り、劇場案内係などを5、6回やりました。

最終日にはこれまでボランティアをやった親にお礼としてオーナメントが配られました。(いろいろありましたが、私はRat Kingのをもらいました。)


その日たまたまチェックイン係をしていたのでこれを渡す係にもなり、それで気づいたのですが、ボランティアをやったのは半数程度。全員がやったわけではありませんでした。やっていない親が半数。そしてかなりの数の親が4回だけでなく、ほぼ毎回のようにボランティアをしています。

でもそれで問題にはなりません。学校のボランティアなどもそうだけど、「やれる人がやればよい」という雰囲気。ボランティアが足りない時はメールが回ってきて「一人4回お願い!」と頼まれますが、やらなかったから責められるといったことはありません。実際、仕事の関係でどうしても時間が取れない人、子どもが多くて無理な人、言葉の問題で難しい人(私もかな??笑)などいますよね。

そして親だけでなく、ティーンエイジャーくらいになると友人がボランティアとして来ていることもあって、これも微笑ましいなあと思いました。友だちをそういう形で応援してあげるって素晴らしいですよね!


2013年12月3日火曜日

Tuesdays with Morrie

『Tuesdays with Morrie(モリー先生との火曜日)』のオーディオブックを聞きました。


これはノンフィクションで、ジャーナリストのミッチが大学時代の恩師モリー先生がALS(筋萎縮性側索硬化症)にかかって余命わずかであることを知り、毎週火曜日にモリー先生を訪ねて聞いた話をまとめたものです。

モリー先生の人生哲学はシンプルで真理をついています。

ミッチに「もし一日24時間だけ以前のようにからだが動くとしたら、何をしたい?」と聞かれた先生は、「友だちと会って話してゆっくりディナーを食べて散歩して……」と答えます。ミッチは「海外旅行したいとかないの??」と言うのですが、死ぬ前に大切に思うことって、きっとささやかな日常ですよね。

モリー先生の素晴らしいところは、人生にとって大切なことに病気になる前から気がついていたこと。

実は私、夏に2か月くらい咳が止まらず、肺がんだったらどうしようと思ったことがありました。そのときにもし本当に肺がんであと少ししか生きられないということになったら何をしたいか考えましたが、やはりモリー先生のように家族と普通の生活をして暮らしたいと思いました。自分の時間が限られているなら、その大切な時間は家族にご飯を作ったり、娘の宿題を見てやったり、読書したりして普通の日常を過ごすのに使いたいと思いました。

私の咳は近くでやっている大きな道路工事のせいだったようで、道路の舗装が済んで土ぼこりが収まったら止まったのですが、自分にとって何が大切なのか考えてみるよい機会になりました。

そのあとこの本を読んだので、モリー先生の言葉がいっそう心に沁みました。

収入を上げるとか大きな家に住むとかよい仕事に就くとか、そういったことについ熱中しがちですが、自分にとって本当に大切ことを意識しながら生きていきたいと思います。

この本は★5つ。内容も難しくないし、オーディオブックで聞いたらすぐに終わってしまいました。本も短いのかな?

この本を基にした映画もあります。(日本語版はこちら→

2013年10月21日月曜日

Moonwalking with Einstein: The Art and Science of Remembering Everything

前回の更新から1ヶ月以上も経ってしまいましたが、思い出したように更新(笑)。

図書館から(といってもデジタルなのでオンラインで)このオーディオブックを借りて聞きました。


渡辺由佳里さんの『ジャンル別 洋書ベスト500』でも紹介されていた、"Moonwalking with Einstein"です。

ジャーナリストの著者が1年間記憶力強化に挑戦し、Memory Championshipに出場します。

自分の記憶力向上に役立つかな~と思って読み始めたのですが、ここで著者が訓練した記憶力は日常生活で必要な記憶力とは少々違うようで、どちらかというとスポーツ選手の訓練話みたいでした。(Memory Championshipに出場する人たちは"Mental Athletes"なのです。)

でもこの本で、トップレベルまで到達する人たちの訓練の仕方(進歩が止まってしまったときにどう打破するかなど)といった、記憶力の分野を超えて何の分野にでも応用できる力のつけ方が学べます。何でもそうですが、自分で「この程度できればいいや」と(無意識にでも)思ってしまうと進歩が止まりますよね。その時にどうするか、といったこと。


日本ではオーディオブックってあまり聞いてる人がいないと思うのですが(私が知らないだけ?)、こちらに来てからよく聞くようになりました。散歩しながら、家事しながら、など「ながら」聞きができるのがうれしいし、ふだん仕事でPCに向かっているので、さらに本を読むとなると目が疲れ、その点でもオーディオブックはありがたいです。

図書館で借りることがほとんどですが(同じ本を二度読む・聞くことをあまりしないため&節約のため)、オーディオブックは少ないのが残念です。もっと増やしてほしいなあ。(とここで日本語でつぶやいていても聞こえないんだけどね。)

2013年9月16日月曜日

Japan-Boston Joint Entrepreneurship Forum

今日はJapan-Boston Joint Entrepreneurship Forumというのに行ってきました。(夫が市の方から招待をいただいたので私もそれに便乗して。)

私はまったくEntrepreneurではないのですが、そんな私でもとても刺激を受けて帰ってきました。

特に強烈に印象に残ったのが、ハーバードビジネススクールの竹内教授がおっしゃった、"Individuals can make things happen."という言葉。(これがメインテーマだったわけではなく、私として印象に残ったということです。)

日本でもっと起業家が育つように文化や制度、移民政策を変えなければ!という方向もあるけど、それは難しいし時間がかかりますよね。でも個人レベルだったらもっと柔軟に早く変われますよね。

なるほど!と思いました。

私のように海外に住む日本人や日本に住む外国人たちはよく、「日本ってどうしてこうなんだ! 変わらなければ!」と言いがちですが、大声で「日本のここがヘンだよ」と言っても「ここは日本なんだから仕方ない」と言われるか、下手すると反発を買うだけですよね。そんなことを言ってるくらいなら個人レベルでできることにさっさと取り掛かればいいんだなと反省しました。

ハーバードの大学生と日本の高校生の合宿の話もされていて、この夏から日本の高校生のボストンツアー(英語でのディスカッション等を行う教育ツター)の仕事に関わり始めた私には、本当に興味深い内容でした。

フォーラムのあとのランチ&交流会では、元々知っている方々も初めて会った方々もいて、ここでもまた興味深いお話がいろいろと聞けました。

夫の方もいろいろと考えるところがあったみたいで、"My brain hurts."とか言ってました(笑)。夫は日本との姉妹都市の活動に関わっているので(最近停滞しているのだけれど)、その方面でもいろいろアイディア湧いてきたみたいです。

やっぱり時々は外に出て刺激を受けないとね!

2013年9月3日火曜日

ジャンル別 洋書ベスト500

Lexington在住の作家、渡辺 由佳里さんの新著書、『ジャンル別 洋書ベスト500』を読みました。



「本」紹介の「本」を「読んだ」、というのもヘンなものですが、単にこの本だけ読んでも(紹介されている本を今後実際に読まなかったとしても)楽しめる本でした。

日本に住んでいたときによく読んでいた雑誌には毎回誰かが最近1か月に食べた食事の写真と簡単な解説(誰とどこでとか、どんな日だったかとか)が載っていて、これがなぜか大好きでした。お弁当紹介も。人が食べたものの写真を見て何が楽しい??と思う人もいるでしょうが、これがとても楽しいんですよね。

この『ジャンル別 洋書ベスト500』を読みながら、同じような感覚にふけっていました。

「今度これ食べたい」とか「この食べ物は名前だけ知ってたけど食べたことなかったなあ」とか「食わず嫌いだったけど挑戦してみようか」とか、あるいは「そうそう、この食べ物は私も好き!」とか。食べ物を本と置き換えたらまったく同じ(笑)。

この本のよい点は
・あらゆるジャンルの本がカバーされている
・難易度や適正年齢が記載されている
・著者の好みの押し付けでなく、公平な広い視点から選ばれている
・もっと読みたい人向けに同じ著者の別作品の紹介など追加情報もある

そして特によいと思うのは、洋書に限らず、「読書っていいものだなあ」と改めて感じさせてもらえる点。洋書好きの方にも、これから洋書に挑戦しようと思っている人にもとってもお勧めの一冊です。

私は付箋をつけながら読んでいったのですが、数えたら32枚ついてました。全部読むまでにどれくらいかかるかな? これからちょうど読書の秋なので、たくさん読みたいと思います。

(由佳里さんはブログ『洋書ファンクラブ』でも常にいろんな本の紹介をされていますので、こちらもお勧めです!)

2013年8月30日金曜日

Bend, Not Break - A Life in Two Worlds

Ping Fuという中国出身の起業家の自伝『Bend, Not Break - A Life in Two Worlds』を読みました。


中国での子ども時代に文化大革命を体験。親から引き離されて大学の寮に小さな妹と二人で住み、工場で労働させられたりなどひどい目に遭いながらもなんとか生き延び、のちに再開された大学に入ってようやく教育を受けられるものの、書いた論文の内容が中国当局の怒りに触れてアメリカに追放される。英語もわからず、お金も全くないスタートだったが努力して学位を取り、のちに3Dプリンター関連の会社を起業して成功、Entrepreneur of the Yearに選ばれるまでになる、というストーリーです。

読み始めて最初からすごい話の連続で、感心して読んでいました。でも3/4くらいまで来たときにふと「この人、本当はどんな人なんだろう?」と思ってネットで調べてみると……この本かなり問題になっていました。

どうやら内容の信ぴょう性が疑われているようで、Amazonのレビューも★1つが大量について非常に「荒れて」います。

私自身は中国の歴史に特に詳しいわけではありませんが、それでも「???」と思う部分がいくつもありました。例えば、学校がすべて閉鎖されてしまって小~高校まで全く学校教育を受けなかった、子どものときに強制移住・強制労働させられた、アメリカに着いた時点で英単語をたった3つしか知らなかった、割り算の概念も知らなかったのに猛勉強してコンピューターの学位を取った、論文が問題になって中国から追放された、など。

私自身で調べたわけではないので真実はわかりませんが、少なくとも「誇張」や都合のよい「言い換え」はあるような気がします。(どんな自伝でも多かれ少なかれあるとは思いますが。)

で、あと1/4ほどを残した時点で、この本はどうやら真実ばかりが書いてあるわけではないとわかり、ちょっとがっかりしたのですが、それでも最後まで読みました。理由は、この本はフィクションとして読んでもおもしろいと思ったから。

この本フィクションとして出ていたらよかったのになあ~と思います。特に中国での子ども時代の話はハラハラドキドキしたり、ははーっと感心したりして、とてもおもしろいのです。

ということで、内容の真偽はよくわかりませんが、フィクションとして読んでみることをお勧めします。

2013年8月2日金曜日

たまの外仕事で学んだこと

この夏、珍しく外での仕事を引き受けました。

ボストンに勉強に来る高校生たちのお世話というか、主にはディスカッションのお手伝いです。短い仕事でしたが、いろいろと勉強になりました。

まず、「いまどきの高校生たち」にびっくり! 良い意味でです!!

あるひとつの女子高のグループが特に素晴らしくて、英語もできて自分の意見も述べられて(自分から手が上がる)、将来のこともしっかり考えていて、本当に素晴らしかったです。いまどきの若い子は内向きだとか何とかいろいろネガティブな面が取り上げられることが多いですが、こういう子たちと会うと日本の将来は大丈夫と思えて、とてもうれしかったです。

講師として来てもらった友人女性の話にも感動しました。

私の別ブログにもたまに出てくる、ご主人が専業主夫で自分はEVPとしてバリバリ働いている2児のママなのですが、今回の話にとても感心たし、改めて尊敬し直したのでした。

特にいくつか、心に残った点をメモ。

1. Follow passion
2. Get out of your comfort zone
3. Be 100% present (in the now)

1は説明不要かな。成功するにはpassionがないとね!

2は私も最近自分の反省点として考えていたところです。慣れてて楽なことばかりしていたら進歩がない、ということです。新しいことにも挑戦していかないといけませんね。

3は特に子どもとの過ごし方について。頭の半分で仕事のことを考えながら子どもの相手をしていても、どちらも中途半端で両方にとってよくありません。この点も自分ではわかっていて、できるだけすっぱり切り替えようと思いつつ、締め切り直前などは子どもの宿題を見ながら自分も仕事ということがあります。でも確かに効率悪いし、子どもも不満が残ります。これからは何事も100% present目指します。

この3の点って日本人は苦手なような気がします。欧米人のほうが切り替えうまいですよね。たとえば大学生でも遊ぶ時は遊ぶけど、ふだんは勉強もものすごくする。会社員も忙しいときはランチも食べずにががーっと集中して仕事をして、夜はできるだけ早く家に帰って家族と過ごす。この点は欧米人から見習うべきかも。(もちろん人によりますけどね。)

それから、女性のリーダーについてのディスカッション中、高校生の指導係として来てくれていたハーバードの学生が言った言葉にもハッとしました。

"If something is not common, it doesn't mean it's impossible."(何かが一般的でないからと言って、それが不可能だということにはならない。)

他に誰もやっていないことはなんとなく(確たる理由なく)自分もできないだろうなあとやる前から諦めてしまうことがありますよね。彼女が言ったこと、当たり前と言えば当たり前のことなのですが、ハッとしました。

自分に不要な制限を課さないようにしたいし、自分の子どもなどにアドバイスするときも心したいと思います。

さて、こんな風にいろいろと勉強になったのですが、実はいちばんの教訓は「外で仕事をするときは歩きやすい靴を履くこと!」でした(笑)。

てくてく歩く仕事ではなかったのでいいだろうと、ヒールの高いサンダル(細いヒールではなかったけど)を2日間履いていたら膝と足がひどいことに。膝が腫れて痛くなり(昔手術をしたから傷めやすいのです)、ひどい靴擦れも。ふだんは家の中で裸足で仕事してますからね(笑)。

靴のことも含め、とにかくいろいろと楽しくてためになる仕事でした。Get out of your comfort zoneで、たまには私も外に出ないとね!

2013年7月14日日曜日

「よい学校」の話の続き

今日は娘の同級生のお宅にディナーに行ってきました。

双子の男の子がいて、そのうちの一人がKinderでうたこと同じクラス。9月からの1st gradeのクラスではもう一人の子のほうと同じクラスになるようです。ご両親ともPTOの集まりなどにわりと熱心に来られていて、よく話をするようになりました。

インド系のママがとてもおいしいインド料理を作ってくれて大満足だったのですが、会話もとても楽しかったです。

ジューイッシュのパパとインド系(アメリカ生まれ)のママの家庭で、家族としての宗教はパパ側のジューイッシュ。でもファミリーネームはママ側のインドの名前を使っています。アメリカ生まれではあるものの、現在ママのご両親がインド在住ということもあり、将来は行ったり来たりする(一年の半々をこちらとあちらで過ごす)のが夢なんだそうです。

お料理好きで、日本人もインド人も米にはこだわるよね~という話なども楽しかったのですが、いちばん興味深かったのは学校教育についての話でした。

うたこの通っている学校については前にもこのブログに書いたことがありますが(→)、いわゆる「人気校」ではありません。でもこのご夫婦も「○○はすごくよい学校だよね!!」と。私と同じような理由でこの学校をよいと思っているようで、うれしくなったのでした。

その理由というのは例えばDiversity(多様性)。

International Dayみたいなイベントでインドの料理を作って見せて、皆が「へえ~っ」と言うようなのは本物のdiversityじゃないよね。本物のdiversityってもっと日常的にふつうにあるもので、たとえばインド料理をexoticで珍しいととらえるんだったら、それはちょっと違うよね。Diversityってわざわざ大げさに取り上げて祝うようなものじゃないよね、って。

テストのスコアがよい=よい学校、というわけではないという点でも意見が一致。

例えばある市は我が市よりテストのスコアは高いけれど、ドロップアウト率も高いから一概に比較できないとか、とにかくテストのスコアを上げるためだけに勉強させるのはよい教育と言えないんじゃないかとか。

また、肌の色に関わらず皆が平等に機会を与えられている(肌の黒い子は勉強面で劣っているという先入観がない)という点もよいよね、と。

そういう話を、どちらも教育者(大学の先生)である二人から聞いて、とても心強くなったのでした。

で、そのパパが「これからは○○がいい学校だということをもっと広めよう!」と言っていたのだけれど、残念ながらそれはちょっと難しいかも。「よい学校」の定義って人によってずいぶん違いますしね。

でもPTOもずいぶん頑張っているし、これからもっともっとよくなっていくような予感。楽しみです。

2013年7月7日日曜日

The Help

映画『The Help』を見て、そのあと同タイトルの原作本を読みました(オーディオブックだから「聞きました」?)。映画は2年前に公開になったのを気になりつつ見逃していて、図書館でDVDを見つけたので借りたのでした。




日本でも映画後悔されていて(→)、和訳本も出ています(→)。

「ヘルプ」というのはDomestic help(家政婦、メイド)のことです。ヘルプは皆黒人で、雇う側は白人。時代設定はちょうど公民権運動が盛んになった頃で、南部の黒人差別の激しい町が舞台です。

主人公の女性は大学卒業後に実家に戻り、結婚して主婦になった同級生たちの差別的言動にショックを受けます。作家になりたい彼女はヘルプたちを取材して本を執筆しようとする……というストーリーです。

この同級生たちがまあ本当にひどくて呆れるばかりなのですが(笑い話にしたいくらいひどいんです!)、程度の差こそあれ、今この時代の私たちも似た感覚をもっているかもしれないなとも思いました。

それは「違う」ということについて。私はよく「多様性(diversity)」が大切だと言っています。つまりは「違い」が存在すること、そして「違い」を尊重することが大切ということです。

ある女性が黒人と白人が同じ学校で学ぶことについて、"Black people and white people are SO DIFFERENT!"(本が手元にないので微妙に違う表現だったかもしれません)と言う場面があるのですが(映画ではなかったかも)、この場合の"different"というのはまったくポジティブな意味合いがありません。

このセリフはものすごく意地悪に聞こえたのですが、実際わが身を振り返ってみると、例えば最低賃金程度できつい仕事をしている人たちや、ホームレスの人たちなどのことを多少なりとも「あの人たちは自分たちとは違う種類の人たちだ」と思っている部分があるかもしれないなあとも思ったのです。もっと広く見てみると、世界には貧しくて栄養も足りない人たちや、現在でも奴隷のような待遇を受けてる人たちがいることを知りつつ、「自分とは別の世界の別の種類の人たちのこと」として気にも留めていないのではないか、とも。

肌の色の違いや文化の違いは尊重したいですが、「違う」という言葉の使い方には気をつけたいと思いました。

2013年6月7日金曜日

Amelia Bedeliaの勘違い

娘が学校からもらってきた本『Amelia Bedelia(アメリア・ベデリア)』がとってもおもしろかったので、ご紹介。

アメリアはメイドさん。新しくロジャーズ夫妻の家に雇われますが、初日に夫妻は仕事のリストを残してすぐに出かけてしまいます。

アメリアはリストを読んで仕事をするのですが、勘違いばかりしてとんでもないことをします。

例えば、”Dust the furniture."を「家具にほこりをかけなさい」という意味だと思って、バスルームで見つけたDusting powder(からだに振りかけるパウダー)を家具に振りかけてしまいました。Dustは「ほこり」という意味ですが、「ほこりを払う」という意味もあるんですよね。

また、"Change the towels in the bathroom."という指示には「変える」の意味を間違って、素敵なタオルを切ってデザインを変えてしまいました(笑)。

ここから英語クイズ。

1. "Draw the drapes when the sun comes in."という指示を読んだアメリアは日が差してきたとき、カーテンの絵を描きました。ロジャーズ夫人が本当にしてほしかったことは?

2. お肉屋さんから丸鶏が届きます。"Please dress the chicken."という指示を読んだアメリアはチキンに服を着せますが、ロジャーズ夫人が本当にしてほしかったことは?

3. 同じくお肉屋さんから届いたステーキ肉について、"Trim the fat."という指示。アメリアはリボンとレースを使ってお肉をきれいに縁取りしましたが、ロジャーズ夫人が本当にしてほしかったことは?

答えは最後に。

このブログ読んでる方は在米の人が多そうだし、簡単だったかも。

この本、ネイティブスピーカーでない人の英語学習本にもなるなあと思いました。

ちなみにうたこはわかったのとわからないのとが半々くらいだったかな。チキンをdressするっていうのはわかっていませんでした。(チキンに服を着せるのがおかしいというのはわかっていたけどね!笑)

この本は1963年に最初に出版された古いお話で、Pも子どもの頃に読んだ記憶があると言っていました。学校の図書館では古くなっていらなくなった本を時々くれるみたいで、昨日4冊ほどもらってきた中にこれがありました。無料本、なかなかおもしろかったです。

さて、ここで解答。

1. カーテンを引いて(閉めて)ほしかった。
2. 丸鶏をさばいて(切り分けて)ほしかった。
3. 脂身を取っておいてほしかった。

確かにDrawは「描く」という意味もあるから、文法上はアメリアの解釈(カーテンの絵を描く)で間違いはないのですけどね……。Dressに鶏などを「さばく」って意味があるのもなんで??って感じですしね。同じ単語でもいくつも意味があって難しいですね(笑)。

初日にこんなへんてこりんな失敗ばかりしてしまったアメリアですが、クビにならず、気に入って置いてもらえることになりました。なぜか気になる人は本を読んでみてね!

2013年5月23日木曜日

Lean In

Facebook COOであるSheril Sandbergの著書、『Lean In』を読みました。

2年前に彼女のTED講演「Why We Have Too Few Women Leaders(何故女性のリーダーは少ないのか)」を見て、彼女のファンになりました。(そのときに書いたブログ記事はこちら→



正直で素直な人だと思ったんですね。そして彼女の話す内容には、全然エリートでない私でも共感できるところがたくさんあります。今回の本もそうです。

Lean inのleanは「傾く、もたれる」という意味で、Lean inは中に入っていく、押し入るという意味です。つまり、女性も職場で控えめにふるまわず、もっと深く入っていこうよ、ということです。

"Don't leave before you leave"(去る前に去るな)とも言っています。これはどういうことかと言うと、実際にまだ子どもがいるわけでもないのに「子どもができたらこの仕事は無理だな」と先に引いてしまうのをやめよう、ということです。中にはまだ結婚もしておらず、ボーイフレンドすらいないのにすでに将来どうやって家庭と仕事を両立させていくか真剣に悩んでいる人もいると出てきます。思い当る人、多いかも。

女性が全員高いキャリアを目指して外でバリバリ仕事をしなければならないとは思いませんが(著者もそんなことは言っていません)、ほかの女性、特にこれからの子どもたちの「足を引っ張る」ような言動はしたくないし、ほかの人たちにもしてほしくないと思います。

私自身、女がバリバリ仕事をするのが普通ではないという環境で育ちました。(アメリカですら女性のリーダー少ないと言っていますが、日本は今だってものすごく少なくて、女性のランク付け世界の先進国中ほぼ最下位ですよね!)それでもなぜか「男女平等」には敏感で(教師という職に就いたからか?)、職場で「女の先生は子ども産んで休むから困るなあ」なんて言う男性教師(その配偶者も教師だったりする)にかっかと腹を立てたりしていましたが、その後教師を辞めた後に就いた仕事はアシスタント的なもの。

日本では男女関係なく経験のない職種で中途採用は難しいということもありますが、無意識のうちに「女だから」そういう仕事を選んでいたのかもしれません。

その後結婚出産して、アメリカに来てみて、ボストンという土地柄もあるのでしょうが、私と同年代の日本人女性でもバリバリ仕事をしていらっしゃる方々の多いのにちょっと驚きました。そして、今からまた20代に戻れるんだったら、今度はもっと勉強や仕事に真剣に取り組んでみたいなと思いました。(真剣に仕事をしていなかったというわけではないのですが、「上に」という意識はなかった。「上に」というのは出世や給料の額だけではなく、やりがいや社会への貢献度も含みます。)

自分の娘のことを話しながら、「この子は女だから頭がよくなくてもいい」というような発言を聞くことがありますが、とても悲しくなります。

女性が専業主婦・ママになるという選択もありだし、女性しか出産・授乳できないことを考えると、少なくとも子どもが小さいときは女性が子育てを主にやることが自然なのかもしれません。しかしそれは各夫婦、各家庭の判断であって、一律にどちらがよいと言えるものではありません。

そういえば、日本で録画して送ってもらった「サザエさん」で、波平さんが「カツオは医者に、ワカメは看護婦さんになったらどうだ」と言うシーンがありました。昔の番組ですが、今でも多少なりとも同じような感覚は残っていると思います。医者や科学者になりたい女の子だっていると思うし、それを応援できるような社会でありたいものです!

あ、そうそう。結婚している女性すべてに役立つアドバイスがありました。

夫が子どものオムツを替えてくれたら、たとえオムツが頭についていても黙っておくように、と言っています。(図書館で借りて読んだので本が今は手元になく、確かめられないのですが、たしかそう言っていたと思う。ちょっと間違ってたらすみません。)

よく、「男は家事(育児)ができない」と言いますが、できないわけじゃないよ、ということです。とにかくやってみないとね。これは私もそう思います。まあ私の場合は文句を言ってしまうことも多いのですが(ごめーん)、言わないでやってもらっていると、そのうちに上手になります。サンドバーグ氏も言うとおり、「女だから」勉強や仕事ができないということはないのと同様に、「男だから」家事や育児ができないということもないんですよね。友だちに専業パパもいますが、すべてしっかりやっています。文句言うよりも黙ってやってもらったほうが、後々楽ですよ。

ところで、本の話とは外れますが、我が家の娘はなぜかとってもフェミニストです。

ある日夫が「どこかの村では14歳になると男はライオンと戦わなければならなくて、ライオンに勝った者だけが大人と認められ、結婚を申し込むこともできる」という話を私にしていたら、聞いていた娘が「なんで男だけ? 女はできないの? 女は家で待ってるだけなの?? 私は外に出て、自分で結婚相手を探しに行く!」って。まさかライオンと戦いたいわけではないでしょうが(笑)、不平等を感じたかな。

また最近はピンクの服やスカートは断固拒否! 絶対にパンツを履いていきます。

こういう娘の態度を見ていると、「男女平等!」と言っている私だって、知らない間に「女の子らしく」育ててたんだなーと気づきます。ピンクの服とかいっぱい買ってたもんね。それに服装などではアメリカのほうが男女差顕著かも。中間的な服(特に子ども服)はほとんどなく、ショートカットの女の子もほぼ見かけませんね……。(まあ個人的には服装などは思いっきり女っぽくてもなんでも個人の好みでよいと思っているのだけど。)

そして、うちの夫P。彼はかなり男女平等な人です。

独身時代、我が家に遊びに来たとき、ベランダで虫が死んでいたので拾って捨ててくれと頼んだら、「そうやって性別で役割を決めるのはやめようよ」と言って拾ってくれなかったくらい男女平等主義です。虫が怖かったのかもしれませんが(笑)、男性だって虫が怖いなら怖いと言ってもいいし、主夫したいならすればいいんですよね。

まあ虫の件は置いておいても、Pは私にも仕事をしてほしいと思っているし、家事もできるだけやりたがります。(「手伝う」という感覚でなく、自分も「やる」というのがポイントね。)

こういう人と結婚してよかったなーとつくづく思います。(私の場合、そうでなかったら結婚してないだろうけど。)

サンドバーグ氏の本、近々日本でも翻訳書が発売されるらしいので、ぜひ読んでみてください。キャリア志向の人もそうでない人も興味をもって読める本だと思います。

あ、そうそう。男性も読んでみてね!

2013年5月21日火曜日

「よい学校」とは?

今夜、Pが市のSchool Committeeのミーティングに行ってきました。

簡単に言うと「人気のない学校にSchool Committeeが大きく介入して、大幅なプログラム変更などを可能にする」という動議が出され、学校をサポートするために(この動議を阻止するために)行ってきたのです。

我が市は学区が細かく分かれておらず、市内の公立学校をどこでも選べるようになっており(ボストン市と同じ方式)、第3希望までを出して抽選で学校が決まる仕組みになっています。

うたこが通っている学校はうたこの伯母さん(Pの姉)が校長をしていますが、実はあまり人気のある学校ではありません。(第一希望に選ぶ親が少ない。)

私を含め、この学校の親たちが考え付く不人気の理由は以下のとおり。
・ニーズの高い生徒(移民のため英語が不十分、貧困家庭から来ているなど)が多い。
・そのためにテストのスコアなども低い(確かめてないけれど、たぶん)。
・そのために親の参加度も低い。
・人種の偏りがあるため、白人家庭には人気がない。
・コミュニケーションが悪い。(よい内容がたくさんあるのに情報が発信されていない。)
・理由はわからないが、市のFamily Resource Centerが親たちにこの学校を避けるよう指導している。(←という証言がいくつかあり)
・Parent liaison担当者があまり熱心でない。(学校を選ぶ際にほとんどの親がスクールツアーに参加するので、この担当者の仕事ぶりは重要ポイント)

うたこはこの学校にJK(Junior Kindergarten)から通い、今はKinderで2年目です。去年の先生も今年の先生も素晴らしく、子どもはたくさんのことを学んでいます。入ったときはもちろん読み書きできませんでしたが、今では本も一人で読めるようになり、答えが2桁になる足し算でもできるようになりました。家庭が貧しくてあちこち連れて行ってもらえない子たちにもいろんな経験をさせたいという先生たちの意向でフィールドトリップも多く、地元の消防署からサーカス、劇やコンサートまで、いろいろなところに連れて行ってもらっています。また、ハーバード等の大学と連携した活動もあります。

市内のほかの公立学校でも同様のことはやられていると思いますが、人気がないとされているうたこの学校だって負けないようなよいプログラムがあるよ、ということです。(ほかの学校に通わせたことがないので確実なところはわかりませんが、たぶん。)だからこの動議は不人気の理由がよくわかっていない、的外れなものであると言えます。

正直なところ、うたこの学校のランクが低いと知ったとき(入って直後だったと思う)、ここでいいのだろうかとも悩みましたが、今はこの学校でよかったと思っています。

これはほかの親たちも同様なようで、前日に声をかけたにも関わらず50人が今夜のミーティングに集まり、この動議に対する反対を訴えました。

実はPTO(PTAと同じです)も休眠状態だったのですが、去年あたりから順調に参加者が増え、9月からの来年度はもっと本格的にいろいろやっていこうとしているところです。PもTreasurer(会計)で頑張っています。

「よい学校」って何かなあとよく考えます。

偏差値の高い学校や問題のある子の少ない学校=よい学校と考える場合もあるでしょうが、私は自分の子どもには多様性のある生徒たちの中で学んでいってほしいと思っています。学校って勉強だけでなく、社会のことをいろいろと学ぶ場所ですから。

「よい学校」というのはその子によって違うとも思いますから、うたこの今の学校がどの子にとってもよい学校とは思いませんが、うたこは喜んで通っているし、ちゃんと勉強もできているので、この学校がうたこにとってよい学校でない理由は見つかりません。

うたこの学校での様子については、別のブログでよく書いているので、そちらで→

とりあえず問題の動議については、多くの親が駆けつけて反対を表明したこともあり、今回おそらく否決されそうです。

PTOの活動については、おそらくまた別に書きます。今、作り上げているという感があって、なかなかエキサイティングです。

2013年5月7日火曜日

「ボストンへ」ボストン爆破事件について村上春樹氏の寄稿文

まだしつこくボストンでの爆破事件関連です。すみません。(ほかのブログたちでは違う話題も書いてるのでそちらも見てね→ 

4日前のことになりますが、作家の村上春樹さんがNew Yorkerに「BOSTON, FROM ONE CITIZEN OF THE WORLD WHO CALLS HIMSELF A RUNNER(ボストンへ。ランナーを自称する一人の世界市民から)」というタイトルで寄稿されました。

New Yorkerの記事はこちら→
関連の朝日新聞の記事はこちら→

これを読んで、ボストンに住むものとしてじんと来ました。

村上春樹さんはボストンマラソンに過去6回出場されており、ボストンマラソンの持つ独特な雰囲気について書かれています。私はランナーではありませんが、ここで描写されているボストンの雰囲気はマラソン以外にも通じるところがあります。

New Yorkerへの寄稿文を一部引用します。(日本語で書かれたものが翻訳されているそうです。)

Many people were physically injured at the site of the explosions, but even more must have been wounded in other ways. Something that should have been pure has been sullied, and I, too—as a citizen of the world, who calls himself a runner—have been wounded.
爆発現場では多くの人が身体的な怪我を負いましたが、それ以上に多くの人たちが違う面で傷つきました。純粋であるべきものが汚され、私自身もランナーを自称する一人の世界市民として傷つきました。(←junjunの勝手な訳です。)


ああ、そうだ、と思いました。ボストンに住む人たち(そしてボストンの外に住んでいてボストンを愛する人たち)の気持ちがきちんと表されている、と思いました。

今回の爆破事件は自分でもちょっと不思議なくらいにショックでした。単に「近くで起こったから怖かった」というのとは違うし、死傷者の数だけで言えばもっと大きな事件はほかにもたくさんあります。でも、なんというか、心の底からショックだったんですね。

この事件の直後、まだ容疑者が特定されていない時点で、ツイッター等で「アメリカは定期的にテロが起こることを選んだ国」といった声が日本から聞こえてきました。アメリカがこれまで起こした戦争について考えてみれば、テロ攻撃を自ら招いているようなものだから仕方ないじゃないか、ということです。

これを見て私はとても傷つきましたが、外から見ればそういう見方にもなるのでしょうか。また、「たった3人亡くなったくらいで大げさな」という感覚もあるかもしれません。日本の人たちに対して、私たちがボストンに対してもっているこの感覚を伝えるのは難しいなと思いました。

そしてそんな時にこの村上春樹氏の投稿を読み、何かホッとしました。全文は英語でしか読めませんが、日本の方たちにも読んでいただけるとうれしいです。

2013年4月22日月曜日

ボストン爆破事件のあとで我が町について思うこと

今日は月曜日で新しい週の始まります。

今日からすっきりと通常の生活開始!といきたいところですが、朝夫が出勤したら駅はまだ封鎖されていると言うし、家の近くも朝からずっとヘリコプターが飛んでいるし(関係ないのかもしれないけど)、やっぱり気になります。

近くで起こったこととはいえ、外出禁止令以外は直接自分に関係はなかったのにどうしてこんなに気になるのか。

ひとつには大好きな街で起こったということ。単に住んでいる場所というだけでなく、ボストン(市だけでなく広域ボストン)はいろんな面で大好きな土地です。また、私はまだ3年しか住んでいませんが、夫が育った場所であり、そういう意味でのつながりもあります。

そして容疑者が同じ市に住んでいたこともショックでした。

先週別ブログにも書きましたが、ケンブリッジの大きな魅力のひとつがdiversity(多様性)です。人種や民族、貧富、教育程度などあらゆる面で本当に多様な人たちが住んでいます。

容疑者の弟が卒業した高校は私の夫の出身高でもあります。2年前に同窓会があり、私も出席したのですが、夫の同級生が口々に「ケンブリッジはdiversityがある。特にこの高校はそうだ」と言っていて、へえ~と思った記憶があります。(そのときのブログ記事はこちら→

うちの近所には低所得者用住宅があり、移民してきてまだ経済の安定しない人たちもたくさん住んでいます。そのうちの一人でエジプト出身のママとつい1週間ほど前にスクールバスを待ちながら立ち話をしていたのですが、「以前住んでいたところと比べてケンブリッジの人たちはopen-minded(偏見がない、心が広い)だから住みやすい」と言っていました。これはほかの人からも聞いたことがあります。

そのバス停の道の向こうにはハーバードの大学院の家族用の寮があり、日本も含め、世界中からの留学生が住んでいます。

娘の学校も国際色豊かで、生徒自身がアメリカ生まれであっても親が移民という生徒がたくさんいます。親の中には英語があまり得意でない人も少なくありません。また、学校の職員も多様で、イスラムのベールをかぶっている方もいます。

今回の事件では容疑者兄弟が外国人であったこと(弟は昨年アメリカ国籍を取得しているらしいですが)が大きく取り上げられています。彼らが外国人であったことがこの恐ろしい犯罪と関係しているのかもしれませんが、今回のことでケンブリッジの人たちの気持ちが閉鎖的な方向に向かわないことを祈っています。

これまでと同じように、どこの国出身であっても、肌の色が何色であっても、宗教が何であっても、同じ町の住民として分け隔てなく付き合い、子どもたちは同じ学校で仲良く学んでいってほしいです。

2013年4月1日月曜日

Ron's Big Mission―黒人少年の小さな抵抗

Ron McNairは1986年のスペースシャトルチャレンジャーの事故で亡くなった宇宙飛行士。彼の子ども時代の逸話を題材にした本『Ron's Big Mission』を昨夜子どもに読んであげました。


飛行機乗りになることを夢見ていた小さな少年が夢を叶えて宇宙飛行士にという話だろうと思って読んでいくと、様子が違います。黒人に対する不当な扱いと戦うという話でした。

1959年、Ronが9歳の頃のこと。当時彼が住んでいたサウスカロライナでは黒人は図書館で本を借りることができず、毎日図書館に通い、その場で読まなければなりませんでした。

ある日Ronは図書館のカウンターで本の貸し出しをお願いします。黒人には貸し出せないというルールがあるために白人女性が「私が借りてあげましょう」というのも断り、どうしても貸し出してほしいと言い張り、警察まで呼ばれる大騒ぎに。

最終的には図書館の責任者がルールを曲げて貸し出しカードを作ってくれるのですが、ほんの数十年前まで不当な扱いが多くあったことに改めて気づかされました。

図書館でRonは自分と似た子が載っている本を探すのですが、あまりありません。たいてい白人ばかりが取り上げられているからです。

ここでうたこが、「なぜ? みんな白人のほうが好きだから?」と。

「白人が白人を好きだからじゃないの。うたこは茶色いから茶色い人が好き?」と言うと、「私は白人も好き」

当たり前ではありますが、素晴らしい態度! みんなこうでないとね!

Ronが本を貸し出してもらえない場面では"It's not fair!!"と怒っていました。


ところで、Pの家族はほぼ100%ブラックファミリーです。

イースターの昨日はPママの教会のサービスに出ましたが、アフリカンアメリカンの教会のため、MITの講堂ほぼ満員で非黒人はおそらく5人ほど。あとは全員ブラックの人たちです。

Pの家族もみんな黒人で、これまで私とPパパの奥さん(フィリピン人)以外にブラックでない人を見たことは一度もなく、昨日の集まりで初めて白人メンバーが現れ、ちょっとびっくりしました。P甥の奥さんの弟の奥さん(遠いね)。

住んでいるところもそうだし(この辺はわりと混じっているけど、分かれていることが多い)、Pが「そういえば今の職場もすごくWhiteだなあ」と。大学もPが行ったところは超White。今の時代、あからさまな差別などはなくなったけど、まだまだ分離していますね。(単に混じればよいというものでもないでしょうが)。

子どもの本をきっかけになんだかいろいろ考えさせられました。

2013年3月14日木曜日

なんでも自然がよい?

食べ物などは自然なもの、できるだけ加工していないものがよいと思っていますが、「なんでも自然がいちばん」という意見には???なことも。

たとえば、「最近流行りのグリーンスムージーのように手軽に栄養を取ろうとするのはおかしい。ちゃんと手間をかけて作らなければ」とか。

うーん。簡単にチンできる加工食品でなく、手間を惜しまずに手作りしましょうね、という意味での「手間をかけて」ならわからなくもないけど、単に「手間をかける」こと自体には意義を見いだせないなあ。グリーンスムージーが簡単で何が悪いんでしょ? 簡単に栄養取れるならいいと思いますけどね。(私もしょっちゅう作ってます。)

あとよく聞く、「ワクチンはからだに悪い」。

人によっては深刻な副作用が出ることもあり、副作用が心配なのはわかりますが、だからといって皆がワクチンを受けなくなったらどうなるか。

これまでワクチンが普及していなかった国に導入されれば、目に見える効果が出ていますよね。(ビル・ゲイツさんがワクチン普及を進めていますが、これも彼の「陰謀」??と言う人がいますね。)

「ワクチンの副作用による被害者のほうが、その病気に罹る人数より多い」というのも、これまでずっと大多数の人がワクチンを打ってきたから、その病気の流行が防げてきたのではないのかな。自分の子どもにワクチンを打たせないのは勝手だとしても、他の大多数の子たちが受けているおかげで流行を免れているということをお忘れなく。

「何もない途上国の子どもたちの笑顔が素敵」とか、「昔はよかった」みたいなコメントも。

誰かが撮ってきた写真だけ見ていれば素敵に見えるかもしれませんが、乳幼児死亡率とか平均寿命とか比較してみたことあるのかね。

ほかには、お産。日本では自然なお産がよいとされていて、麻酔なしで産むことが多いですが、どうして痛いのを我慢しないといけないのか理由がよくわかりません。(かく言う私も麻酔なしでしたが、分娩台の上で2人目を産むなら絶対麻酔しようと誓ったのでした。そのチャンスはなかったけどね。)

最近、『100 Days of Real Food』というブログ(→)を時々覗いているのですが、最新記事は『How To Be A “Once A Month Mom』。一ヶ月分まとめて料理して冷凍しちゃおうよ、って内容です。

自分でやるかどうかは別として、こういうの、合理的でいいなあと思います。健康によい食生活を送りつつ、効率も追及したって何も悪いことはありませんよね。

合理的な理由のない「精神論」みたいなのはやめにしたいなー。

2013年3月11日月曜日

震災から2年

日本ではもう日付けが変わってしまいましたが、アメリカ東海岸はまだ3月11日。

大きな地震と津波が東北地方を襲ってから2年が経ちました。

3月11日なので震災について何か書かなければという気がしつつ、いざ書こうと思うと何を書いても不適当なような気がしてしまいますが、ちょこっとだけ。

自分なりにいちばん大切なのは「忘れないこと」「思いをはせること」。

そしてこれは東北の震災に限らずのことなのだけど、目先の忙しさや自分の欲などにとらわれず、もっと大きな視野で高いところから(高飛車というわけではなく)物事を見て、行動していけたらなと思っています。

そして、援助や親切は「出し惜しみ」しないこと。(金銭的なことではなく、気持ち面で)

自分が今こうやって仕事をしていられるのも、仮設住宅でなく、しっかりした家に住んでいられるのも、単に運がよかったから。私以上に才能があって努力していたにも関わらず、家や仕事をなくされた方が(命をなくされた方も)たくさんいらっしゃるのですから、謙虚な気持ちで毎日を過ごしたいと思います。

今後の復興については、もちろん希望はあるけれど、いまだに辛い状況にいる人たちに無責任に「大丈夫、がんばって!」とも言えません。自分に何ができるか考えると、ほとんど何もできないようにも思うけど、とにかく忘れないでいたいと思います。

2013年2月28日木曜日

お金の話

先週旅行に行ったのは、あることが達成できたお祝いでした。

あることとは、経済的なこと。日本からシンガポールに引っ越し、そのあと今度はアメリカへ。Pの仕事もいくつか変わり(日本からシンガポールは同じ会社ではありましたが)、我が家の経済状態はなかなか落ち着きませんでした。

特にアメリカに越してきてすぐは家具など全部買わなければならなかったし(日本で使っていたものはほとんど処分し、シンガポールでは家具付きの物件に住んでいました)、Pの仕事も定まらなかったし、夫婦ともフリーランスで高い健康保険料を毎月支払い、うたこの保育料も月1000ドル支払い……と、これまでの貯金が頼りの生活だったのです。

一昨年がこんな風だったので税金(私の所得税)も払えておらず、少し落ち着いた昨年に2年分まとめて払うことになり(しかも一昨年は私としてはこれまででいちばん収入が多かった)、税金だけでも大変なことに。

ということで、去年は赤字とはいかないまでも貯金はあまりできませんでした。

それでも去年からはかなり真剣に経済状況改善に努めて(日頃の節約だけでなく将来の備えなども)目標を立て、今年になってその目標がようやく達成できたので旅行に行ってきたというわけです。

Junjun家が家計改善のためにやったことをメモ代わりに書いておきます。(注:ど素人がやったことなので参考にしないほうがよいかも!)

①家計簿をつける

これはPの職業がアカウンタントだからかどうかわかりませんが、彼は独身のときからずっとやっていて、今もやってもらっています。彼は性格上細かくつけるので時間がかかりますが、適当でもつけておくほうがよし。まずはどこにいくら使っているかを把握しないと節約もできません。

意外なところに意外とお金を使っていたりするものなので、数ヶ月でもよいからつけてみるとよいですね。

②予算を立てる

年間と毎月の予算を立てる。毎月の予算は食費や生活用品、通信費、光熱費など。月によって支出額の大きく違う項目については年間で考える。たとえば、クリスマスに増える交際費やバケーション費用など。その時になってお金がない!とあわてないよう、その分を毎月の収入から取って残しておきます。

項目ごとに予算を立てていくと、いかに自由になるお金が少ないかに気づき、愕然とします。(もちろん収入がすごく多ければ違いますが)

③資産配分する

簡単に言うと「お金にラベル付けする」ということ。予算も「ラベル付け」ですが、貯金や投資等の資産についてもラベル付け(退職後の備え、教育費、家の購入資金など)して、しかるべきところに置いておく。

日本を出るときに解約した定期預金など、そのままどこかの口座に置いたままだったので、このあたりもちゃんと整理をしました。

収入についてもこうして分けて先に取っておくことで、「気がついたら残っていなかった」という事態を避けることができます。

④節約する

当たり前だけど、無駄なところにお金を使わない。我が家がやったことをいくつか挙げてみます。

・ケーブルテレビの解約
そもそもテレビを殆ど見ていなかったし、今はインターネットがあってケーブルテレビがなくても特に困らないので。

・Netflixの解約
Netflixは月10ドル程度で映画やテレビショーがオンラインでいくらでも見られるサービス。特に高くないけど(安いよね)、これもあまり時間がなくてそれほど見ていなかったので解約。

代わりにというわけでもないけれど、AmazonのPrime会員になりました。年間79ドルだったかな。これで特定の商品は送料無料で2-day shippingのサービスを受けられ、Netflixほど充実していないものの、無料のオンラインビデオもあり、1本数ドルで購入も可能。結局差し引きゼロかもしれないけど、送料無料がある分お得でしょうか。

・固定電話の解約
これはほぼ100%アンケートやセールスの電話しかかかってきたいなかったので(家族も友人も皆携帯にかけてくる)解約。なくても特に困ることはありません。

・図書館を利用する
本は買うと保管場所にも困るし(Kindleなら場所取りませんが)、一度読んだ本をまた読み返すということをほとんどしないので、図書館にある本は買わないで借りる。

・外食やデリバリーをしない
子どもが小さいこともあって、夜の外食はもともとあまりしていませんでしたが、節約のためにさらに減りました。基本的に外食をするのは旅行中または友人に会うとき。コーヒーも旅行中や人と会うとき以外は外で買いません。

外食やデリバリー以外の食費は実はなかなか節約できていないのだけど、食べ物は安全や健康の問題もあり、安ければよいというわけにはいかないので難しいところです。

・衝動買いをしない
よく考えてから買う。「自分へのご褒美」を簡単にあげない。この前の旅行はご褒美的なものでしたが、これは以前から「○○が達成できたら旅行しよう」と決めていたのでよしとしておきます。

・安く買う
できるだけアウトレット的なお店で買う。

CostcoやBJ'sといった大型卸売りスーパーの会員になる手もありますが、我が家は入っていません。どうなのかな。入ろうかと思うこともあるけれど、年会費を払ってまで行く価値があるのかどうかな?

・安いからといって飛びつかない
上と逆のことを言っているようですが、安くても要らないものは買わないということです。最近GrouponとかLiving SocialとかGoogle Offersとか、クーポンのお知らせが山のように来ますが、安いからといって不要なものを購入したり、不要な外食をしたりするのは浪費。ほしいもののクーポンだけを購入。

⑤人と比べない
食べ物も買えないほどお金がない場合は別でしょうが、お金がないことに関するストレスのほとんどは周りの人と比べることから発生するんだそうです。(そういえばKONISHIKIさんが以前、ハワイでの子ども時代は貧しくて靴もなかったけど、周りの子たちも靴履いてなかったから平気だった、というような話をされていました。)

周りと比べても仕方ないし、質素な暮らしをして大きな家を買う人、グルメで食べ物にお金を使う人、借金してでも派手な暮らしをする人、お金持ちなのに倹約している人など、人によってお金の使い方はいろいろですよね。隣の家が年2回海外旅行に行っているからといって自分たちもそうしなければならないわけではなく、限られたお金だから自分の納得のいくところに使いたいと思います。

経済的なことだけ考えたら我が家もまだまだ改善の余地はいろいろあり、人から見たら贅沢に見える部分もあるかもしれませんが、そこは経済と生活の質のバランスを考えて各家庭で決めるところですね。たとえば家賃の安いところへの引っ越し、車を処分する、もっと安い食べ物を買う、うたこの習い事をやめさせるなどが考えらるけど、どれもそこまでは踏み切れないので現状のままで。

あとは収入アップを図ることかなー。(ということで、仕事に戻ります!)

2013年2月26日火曜日

Ruby Bridges

黒人の子として南部で初めて白人の小学校に入ったRuby Bridgesの映画を見ました。

1960年、6歳のRubyはアフリカ系アメリカ人として初めて白人との統合教育を行う学校に通うことになりました。黒人の生徒はRubyひとりです。

Rubyがこの学校に通うことに白人たちは猛反対。親たちは子どもを学校に来させなくなります。毎朝学校の前には反対する白人たちが集まって大騒ぎ。6歳の少女に向かって罵声を浴びせ、「殺す」と脅します。

Rubyの登校の様子を描いたこちらの絵が有名です。→

北部(ボストン)出身の教師一人を除き、白人の教師たちも皆Rubyを教えることを拒否。Rubyのお父さんはこのために職を失い、近所の食料品店への出入りも禁止されます。

一緒に見ていたPが「これが僕らの娘だったらどうする?」

私だったら6歳の娘が「殺す」とまで脅されていたら、もうその学校へ通わせることはできないと思いますが、Rubyの両親はほかの黒人の子たち皆の将来のために頑張りました。素晴らしいですね。

こんなひどい出来事が起こったのがたった53年前のこととは信じられない気持ちです。現在70歳代の義母はものすごい移り変わりを見てきているわけですね。(彼女は北部出身なので事情は違ったけれど)。そう考えると、オバマ大統領が誕生したときの義母の感激ぶりもよくわかります。

ローザ・パークスのモンゴメリー・バスボイコット事件は58年前の1955年。日本の学校で習ったときには遠い国の遠い昔の出来事のように思いましたが、実際はまだまだ最近のことなんですよね。

この映画、とにかく自分の娘(もうすぐ6歳で半分黒人)とRubyの姿がかぶり、余計にショッキングでした。

詳しくは知らないのですが、今、日本の一部では「○○人を海外に追放しろ!」といったプラカードもってる人たちがいるそうですね。また、アメリカでも人種差別がなくなったわけではありません。

今でも世界のあちこちでひどい差別が残っていることを考えると暗澹たる気持ちになりますが、この50~60年での人種差別をめぐる状況の改善ぶり(学校も分離されていた状態から黒人の大統領が誕生するまでの進歩)を考えれば、今後も社会はよい方向に変わっていくだろうと期待がもてます。

娘の学校ではマーティン・ルーサー・キング・ジュニア・デーにはキング牧師のことを学び、ハイチの独立記念日にはハイチの文化を学ぶといった風に、折に触れ、肌の色の違い、いろんな国の文化などについて学んでいます。人権の尊重や平和の実現などに関して、教育は本当に大切ですね。

娘が大人になったとき、今よりもずっとずっと住みやすい社会になっていますように。

2013年2月15日金曜日

家族のつながり

いろいろ書きたいことはありますが、なかなか時間がとれません。(3つもブログあるもんね……)

今日こんな記事を見つけました。(クリックすると記事に飛びます)

欧米ではビートたけしは時代おくれ?

欧米では次々と施策が進むが…


「時代おくれ」という言い方はどうかと思いますが(ゲイの結婚を認めるかどうかは「時代の流れだから」という理由ではなく、それが本質的にどういうことなのかを考えて決定されるべきだと思うので)、この記事に書いてあること、概ね賛成です。

ビートたけしさんの発言は冗談のつもりだったのでしょうか?? ゲイカップルを動物に例えるというのはいけませんよね。

こういう問題でよく感じるのが、日本は血縁関係が大切ということ。いや、大切というより「血縁にこだわることが多い」と言ったほうがよいかな。たとえば養子や里子も日本では少ないですよね。

アメリカでは、と言っても私の知っている範囲ですが、「子どもは社会のもの」という意識が強いように思います。アメリカは弱肉強食の国と思われていますが、子どもに対しては援助が以外に厚いと感じます。(一定の収入に達しない家庭への給食費の補助や保育料の無償化、医療の無償化など)

また、離婚や再婚も多いせいか、日本ほど血縁にこだわらないところがあります。

たとえばPの家族。Pのいちばん上のお兄さんはお父さんが違いますが、Pパパと親子として過ごした期間が長いため、PパパとPママが離婚したあとでもずっと親子として付き合っていますし、P兄の子どもたちもPパパのことをグランパと慕っています。

そしてP兄自身も義理の子ども(奥さんの連れ子)がいますが、その連れ子にとってもPパパはグランパで、遊びに行って泊まったりしています。

えーっと、だんだんややこしくなってきましたが、さらにPパパの今の奥さんに至ってはそういった子どもたちや孫たちとは血縁関係はもちろん一緒に暮らしたこともありませんが、そういう皆とファミリーとして付き合っています。

図を描かないとわかりにくいかな(笑)。

また、人種の違う子を養子にもらうことも多く、Pの友人は自分はアメリカ人(白人)ですが、養子に来た弟は韓国人。Pのいとこは黒人ですが、ヒスパニック系の子を養子にもらっています。(一見して血縁関係がないとわかっても気にしない、ということですよね)。

そんな中にいると、家族って単に血のつながりではないなーと思います。

そもそも、夫婦がそうですよね。元は他人同士だけど、大切な家族。

ゲイカップルの話に戻ると、ゲイの結婚が認められているマサチューセッツ州ではパパ二人やママ二人の家庭もあります。周りの大人たちがそれを普通に扱っているから、ビートたけしさんが心配するように、子どもたちが「お前のお母さんはお父さん?」なんてことは言いません。

うちの隣りにゲイカップルがいますが(子どもはなし)、5歳のうたこも彼女なりに理解しているようです。本人は結婚するなら男性としたいと言っていますが、男同士や女同士のカップルがいることもわかっているようです。

回りに変に思われるからやめろというのは違っていて、この点では渡辺えり子さんの「そうならないように皆がやっていけばいいんじゃないですか。愛をもって育てれば同じゃないですか? 同性婚も異性婚も」という発言に全く同意します。

血縁なんてどうでもいいとは言いませんが、「愛」のほうが重要ですよね!

2013年2月7日木曜日

大雪の予報で思うこと~「頑張る」日本~

明日はボストン地方に「歴史的」なスノーストームが来るそうです。金曜日から土曜日の夜までずっと降り続けるとか。今のうちに食品を買い込んで置く人でスーパーは大混雑。棚もガラガラという事態です。

明日の休校も早々に決まりました。(現地校金曜日お休み、土曜日の日本語学校も休校決定)。

で、思い出したこと。

そういえば、日本で雪で休校ってほとんどなかったよな~ということ。

私が育ったところは近畿地方でも北の端っこで、冬はけっこう雪が降ります。家の前の道路には融雪設備がついているくらい降ります。

でも雪で休校になった記憶はなし。一度くらいはあったのかなあ?

電車が止まっているのにバスに乗って高校に行った思い出もあります。うちの父は隣の食料品店のおじさんが仕入れに行く車に乗せてもらって仕事に行ってたなあ。

教師していたことがあるのですが、その高校にはかなり山深いところから通ってきている生徒もいて、1メートルを超す大雪の日でも自転車で学校来てました。すごく時間がかかって1時間目か2時間目の途中に雪まみれになって教室に入ってくる子とかいましたね……。

日本では雪だけじゃなくて台風の日もがんばりますね。

会社勤めだったとき、ちょうど朝の通勤時間帯に台風で暴風雨だったことがありました。そのオフィスは駅からバスに乗って行かないといけないのですが、ものすごい長蛇の列。横殴りの暴風雨の中、バス待ちの人たちはみなずぶ濡れ……。私は駅で出会った同僚が上手い具合にタクシーを呼んでくれたのでずぶ濡れにならずにすみましたが、あの日はすごかったなー。

でも「台風だから休みます」とは言えないのですね……。(こっちだったら誰も行かないと思うけど……)

日本はやっぱり「頑張る」社会だなと改めて思いました。

数日前の雪の予報が外れて気象庁が謝ったとかなんとか言っていますけど、天災の場合は念には念を入れて大事をとっておいたほうがよいと思いますね。あまり頑張り過ぎないで。

ということで、頑張り過ぎない我が家は家にこもってのんびり過ごす予定。Pが今、買い出しに行ってます。今日買いこんでいる人が多いので、スーパーの棚がかなり空になっているそうなのですが、ビールとワインはありますように(笑)。

2013年1月27日日曜日

人間はいつ人間になるのか

去年から日曜日に教会に通い始めたJunjun家です。 私たちが通っている教会では時々いろんな社会問題を取り上げていて、今週は中絶についてのお話がありました。 

今日お説教をした牧師さんにはダウン症をもったお子さんがいます。(そのお子さんがうたこと同じ学校に通っているので学校を通じてこの牧師さんご家族と知り合い、紹介していただいてこの教会に通うようになりました)。

今日のお話のポイントは
・どこからが生命(人間)なのか? 胎児は単に「細胞の塊」なのか、「人間」なのか、「完全に人間ではないけれど人間になる発展途中のもの」なのか?
・障害を理由に中絶する場合があるが、「障害のある人間は生きる価値がないのか?」
といった点でした。 

これまで中絶の問題は「女性の自立の問題」でもあると思っていて、そういう意味ではある面中絶賛成派(中絶がよいということではなく、女性に決める権利があるという点で賛成という意味)だったのですが、最近は反対に傾きつつあります。 

理由はやはり今日の牧師さんのお話にあったような点。胎児が単に細胞の塊でしかないとは思わないし、胎内での胎児の脳の発達やその他は実際に科学的に証明されていることでもあります。 

そして障害を理由にした中絶。最近、99%の高確率でダウン症の有無がわかる血液検査ができるようになり、日本でも議論になっていますね。こうした検査を受けてダウン症があるとわかった場合、中絶を選ぶ親がとても多いそうです。

お話を聞きながら、その牧師さんのお嬢さんのお顔を思い浮かべ、泣けてきそうになりました。おとなしくてとても可愛らしいお嬢さんです。彼女に生きる価値がないなんて、彼女のことを知っている人は誰も思わないはず。 

今日のお話で「人生は障害のあるなしに関わらず、誰にとってもinconvenientなものなんだよ」とおっしゃってました。本当にその通りだと思います。 

中絶や安楽死、高度な不妊治療(他人の卵子を使うなど)といった問題について議論すること、自分の意見を述べることは難しいですね。私は「自分だったらこうする」というのははっきりしているけど、「みんなも○○すべき」とは言えません。中絶については「強姦された場合はどうなのか?」という問題もあるし。(胎児の人権や生きる権利を考えれば、強姦されてできた子だって関係ないわけで、難しい問題です)。 

ここにいろいろと書いて皆さんと議論しようとか、皆さんにも私と同じ考えをもってもらいたい、ということではないのですが、とても考えさせられるトピックだったので書いてみました。

2013年1月25日金曜日

気にしすぎ?

時々「黒人ばかり」という表現を聞きます。

単に事実として述べてるだけならよいのですが、「黒人ばかりの」と形容詞的に使われているとき、そこにネガティブな要素を感じとってしまう私は考えすぎでしょうか?

うーん。

夫が黒人だから(ちなみに夫の家族は「黒人ばかり」です)気にしすぎ??

小学校のときに国語の教科書に出てきた話を思い出します。

文房具屋さんに買い物に行き、「このノートはいくらですか?」と聞くと、店番をしていた女性が「そこに書いてありませんか? ○○円です」と言いました。

筆者は女性が「そこに書いてありませんか?」と言ったことにひっかかります。そう言うことでお客さんに「しまった。書いてあるのに聞いてしまった」と気まずい思いをさせるだけなら言わないほうがいいのではないか。

とまあ、だいたいこういう話だったと思います。

それ以来、誰かが何かを言ったとき、「なぜそれを言わなければならなかったのか?」とよく考えます。

店番をしていた女性が「そこに書いてありませんか?」と言ったのは「書いてあるんだけど仕方ないから教えてあげましょう」という気持ちが(無意識かもしれないけど)あったからですね。どうせ教えてあげるんだったら言う必要はないですから。

ちょっと違うかもしれないけど、言わなくてもよいときにわざわざ「黒人ばかり」と言うということはそれを言うことで何かを伝えたいのだと思うわけです。(「怖かったんだよ」とか?)

やっぱり考えすぎかなあ~。

日本に住んでいる日本人にとって「黒人ばかり」という状況は全く日常とはかけ離れた経験でしょうから、単にそれを言いたくなるだけなのかもしれません。

うーん。

気にしすぎかもしれないけど、たとえばうちの夫が「気がついたら黒人ばかりの場所にいて……」みたいな言い方を聞いたら、やっぱりうれしくないと思うんですよね~。「それで?」って言いたくなるよね。

最近私の周りで「黒人ばかり」という表現を使った人がもしかしてこのブログを読んでいたらごめんなさい。けしからん!って非難するつもりじゃないのよ。差別するつもりはないと思うから。ただ、なんとなくナイーブすぎるというか、ちょっと不用意な発言という気はします。

やっぱり気にしすぎかなあ?

2013年1月23日水曜日

自分なりのブログのルール

ブログは以前からやっていましたが、お料理の写真、家族日記、読んだ本の紹介、世の中の問題など、いろんなことがごちゃーっと詰まってきましたので、3つのブログにお引越しすることにしました。

食べ物関係は『ペスクタリアンな食卓 in USA』、日記は『チャールズ川のほとりで』、そして私の頭の中でいろいろ思うこと、感じることはこのブログ、『Junjunのあたまのなか』で。私の頭の中は大抵くだらないことばかりですが(笑)、ここに吐き出していきたいと思います。

Mixi日記から始まって、ブログももう何年になるでしょうか。7年くらいかな??

ブログについての簡単なルール。(自分のための覚え書き)

①基本的に実名不使用
実名は使わず、Junjunとして書く。また、友人が実名で書いた本や記事などをご紹介するときなどを除き、家族や友人の名前も基本的にイニシャル表記とします。(実名を出されたくない人も多いと思うので)
写真も人物の顔は基本的に隠します。

実名でブログ書こうかと一時期考えたこともありますが、私の場合は実名で書くメリットが特にないのでJunjunのままとします。(これまでJunjunとしてmixiやTwitter等やってきましたので、Junjunとしてのアイデンティティもあります)。

ちなみにFacebookは実名でやっていますが、FB friendsは2、3人の例外を除いて全員実際に知っている人ばかりで、使い方が違います。自分や家族の写真も載せています。

②悪いことはわざわざ書かない
ブログやFBにはよいことばかりが並んでいて、人の書き込みを読んで落ち込む人も多いと聞きますが、私も基本的に悪いこと(家族や友人の悪口、落ち込みなど)は書きません。

理由はそういうことを書いても自分も楽しくないし、読む人はもっと嫌な気分になると思うから。それにそういうことを書いていると悪い経験をさらに強めることになり、いっそうネガティブになりますよね。(寝る前にはその日にあったよいことだけを考えろとよく聞きますが、その通りだと思います)。

ま、そんなこと言ってても人間なのでちらっと書いてしまうこともあるかもしれませんけどね。

③Junjunという一個人としての意見、見解、感想
ここに書いてあることはあくまで私の頭の中のできごとであり、私一個人としての意見、見解、感想です。

在米のため、日米比較的な内容も多くなるかと思いますが、これも広く調査した結果ではなく、Junjunの経験内での比較であり、「日本全体」と「アメリカ全体」を比べたものではありません。

こんなこと書かなくても当たり前なのかもしれませんが、「そんな考えは間違ってる!」「そんなこと書くなんて許せない!」というこわーい読者さんもいるかもしれませんので(これまでにはなかったけど)、念のため。

では、これからよろしくお願いします。