2013年7月14日日曜日

「よい学校」の話の続き

今日は娘の同級生のお宅にディナーに行ってきました。

双子の男の子がいて、そのうちの一人がKinderでうたこと同じクラス。9月からの1st gradeのクラスではもう一人の子のほうと同じクラスになるようです。ご両親ともPTOの集まりなどにわりと熱心に来られていて、よく話をするようになりました。

インド系のママがとてもおいしいインド料理を作ってくれて大満足だったのですが、会話もとても楽しかったです。

ジューイッシュのパパとインド系(アメリカ生まれ)のママの家庭で、家族としての宗教はパパ側のジューイッシュ。でもファミリーネームはママ側のインドの名前を使っています。アメリカ生まれではあるものの、現在ママのご両親がインド在住ということもあり、将来は行ったり来たりする(一年の半々をこちらとあちらで過ごす)のが夢なんだそうです。

お料理好きで、日本人もインド人も米にはこだわるよね~という話なども楽しかったのですが、いちばん興味深かったのは学校教育についての話でした。

うたこの通っている学校については前にもこのブログに書いたことがありますが(→)、いわゆる「人気校」ではありません。でもこのご夫婦も「○○はすごくよい学校だよね!!」と。私と同じような理由でこの学校をよいと思っているようで、うれしくなったのでした。

その理由というのは例えばDiversity(多様性)。

International Dayみたいなイベントでインドの料理を作って見せて、皆が「へえ~っ」と言うようなのは本物のdiversityじゃないよね。本物のdiversityってもっと日常的にふつうにあるもので、たとえばインド料理をexoticで珍しいととらえるんだったら、それはちょっと違うよね。Diversityってわざわざ大げさに取り上げて祝うようなものじゃないよね、って。

テストのスコアがよい=よい学校、というわけではないという点でも意見が一致。

例えばある市は我が市よりテストのスコアは高いけれど、ドロップアウト率も高いから一概に比較できないとか、とにかくテストのスコアを上げるためだけに勉強させるのはよい教育と言えないんじゃないかとか。

また、肌の色に関わらず皆が平等に機会を与えられている(肌の黒い子は勉強面で劣っているという先入観がない)という点もよいよね、と。

そういう話を、どちらも教育者(大学の先生)である二人から聞いて、とても心強くなったのでした。

で、そのパパが「これからは○○がいい学校だということをもっと広めよう!」と言っていたのだけれど、残念ながらそれはちょっと難しいかも。「よい学校」の定義って人によってずいぶん違いますしね。

でもPTOもずいぶん頑張っているし、これからもっともっとよくなっていくような予感。楽しみです。

2013年7月7日日曜日

The Help

映画『The Help』を見て、そのあと同タイトルの原作本を読みました(オーディオブックだから「聞きました」?)。映画は2年前に公開になったのを気になりつつ見逃していて、図書館でDVDを見つけたので借りたのでした。




日本でも映画後悔されていて(→)、和訳本も出ています(→)。

「ヘルプ」というのはDomestic help(家政婦、メイド)のことです。ヘルプは皆黒人で、雇う側は白人。時代設定はちょうど公民権運動が盛んになった頃で、南部の黒人差別の激しい町が舞台です。

主人公の女性は大学卒業後に実家に戻り、結婚して主婦になった同級生たちの差別的言動にショックを受けます。作家になりたい彼女はヘルプたちを取材して本を執筆しようとする……というストーリーです。

この同級生たちがまあ本当にひどくて呆れるばかりなのですが(笑い話にしたいくらいひどいんです!)、程度の差こそあれ、今この時代の私たちも似た感覚をもっているかもしれないなとも思いました。

それは「違う」ということについて。私はよく「多様性(diversity)」が大切だと言っています。つまりは「違い」が存在すること、そして「違い」を尊重することが大切ということです。

ある女性が黒人と白人が同じ学校で学ぶことについて、"Black people and white people are SO DIFFERENT!"(本が手元にないので微妙に違う表現だったかもしれません)と言う場面があるのですが(映画ではなかったかも)、この場合の"different"というのはまったくポジティブな意味合いがありません。

このセリフはものすごく意地悪に聞こえたのですが、実際わが身を振り返ってみると、例えば最低賃金程度できつい仕事をしている人たちや、ホームレスの人たちなどのことを多少なりとも「あの人たちは自分たちとは違う種類の人たちだ」と思っている部分があるかもしれないなあとも思ったのです。もっと広く見てみると、世界には貧しくて栄養も足りない人たちや、現在でも奴隷のような待遇を受けてる人たちがいることを知りつつ、「自分とは別の世界の別の種類の人たちのこと」として気にも留めていないのではないか、とも。

肌の色の違いや文化の違いは尊重したいですが、「違う」という言葉の使い方には気をつけたいと思いました。