2014年10月23日木曜日

これでいいのだ

ブータン、これでいいのだ』という本を読みました。


著者の御手洗瑞子(たまこ)さんという方はブータン政府 Gross National Happiness Commission (GNHC)首相フェローをなさっていた方で、現在は「ほぼ日」から生まれた「気仙沼ニッティング」の社長をされている(→)というあたりのことをネットで読んで知っていて、この本読んでみたいな~と思っていたところ、日本語学校の図書館で見つけたので借りてみました。

うーん、おもしろい!

ブータンという国はもちろん行ったことがないし、これまで行ったことのあるどの国とも違っています(多少シンガポールの人と似ているなと思う点はある)。でも単に「珍しい」という意味でおもしろいのではなく、たまこさんの分析がとてもおもしろいのです。

そして彼女の分析は単におもしろいだけでなく、するどいところもたくさんあります。ブータンの人たちの観察日記でありながら、時々鋭い分析が出てくるところなどはさすがコンサルです。

たとえばブータン政府はGNH(Gross National Happiness:国民総幸福量)という概念を掲げていて、国民の幸福度が高い国です。でもたまこさんの分析では単純にブータン=幸せの国というわけではなく、「ブータンの人たちが幸せなのは幸福を感じる力が強いから」だそうです。うんうん、確かにどこに住んでも何があっても不幸そうな人もいれば、大変な環境でもニコニコしている人もいますよね。

(そういえば、夫の義父の奥さんはフィリピン人なのですが、フィリピン人も幸福を感じる力が強いとどこかで聞いたか読んだかしたことがあります。昔仕事で一緒だったフィリピン人が故郷の洪水の話をしながら「家が流れてもいいのさ。また建てればいいんだから!」がはははは~と笑っていたのを思い出します。)

そして「幸せの国」ブータンも皆幸せで万々歳というわけではなくて、問題もたくさんあります。そのあたりのたまこさんの分析も鋭いし、鋭い中にも温かさがあって、そこがまたよいです。

この本読むと、自分のことも「これでいいのだ」と思えてきます(笑)。

なるほどなあ~と思うところはたくさんありましたが、一か所だけご紹介。

たまこさんの元上司の方の言葉です。(以下抜粋)
「幸せになろうと思ったらね、自分の幸せを願ってはいけないんだ。自分の幸せを探し出したら、どんどん、幸せから遠ざかってしまうよ」
「幸せを願うのであったら、自分の幸せではなく、周囲の人の幸せを願わなければならない。家族だとか、友人だとか、自分の身近な大切な人たち、そして周りの人たちが幸せでいられるように、できるかぎりのことをするんだ。……人のためになにか役に立つことをして、相手が幸せになるのを見ると、自分にもとても大きな満足感が返ってくるんだよ。それは、自分のためになにかしたときより、ずっと大きな満足感なんだ。……」
本当にそうですね。自分の幸せ(出世したい、お金持ちになりたい、結婚したいなど)ばかり追い求めていると手に入らなかったときに落胆したり、人を羨んだりして幸福からどんどん遠ざかり、逆に「不幸度」が上がってしまいかねません。

手元に置いておいて、時々自分への戒めも込めて読みたい本です。(図書館で借りたので返さないといけないのですけどね。)「戒め」なんて厳しい言葉を使いましたが、この本はくすくす笑いながら読める本。ほんわかした気持ちになれます。

たまこさんのブータン時代のブログ記事はこちら→

「ほぼ日」でブータンのことを語るたまこさん→

「ほぼ日」黄昏 ブータン編(糸井重里さんと南伸坊さんがブータンへ。でもこの方たちはブータンとは関係のない話ばかりしています。笑)→

ブータン、一度行ってみたいです。いつ行けるかわかりませんが、行きたい場所リストに加えておこう。

2014年10月20日月曜日

『Flight of the Sparrow』と『乞食の子』

最近読んだ本2冊。

1冊目は『Flight of the Sparrow: A Novel of Early America 』。


主人公のMaryは初期にイギリスからアメリカに渡ってきた清教徒。牧師の夫と4人の子どもたちと暮らしていましたが、イギリス人とアメリカ先住民(インディアン)との抗争がひどくなり、ある日夫の留守中にインディアンに襲われ、捕らわれてしまいます。3ヶ月後に身代金と引き換えに元の生活に戻るのですが、実はMaryはインディアンの自由な生活が気に入り、窮屈な元の生活には戻りたくないと思っていたのでした。

これは実際にあった話を元にして書かれた小説で、このMaryという人はその時の体験を後に本にして出版しています。そちらのほうは読んでいないのですが(図書館とかにあるかな?昔の英語で書かれていて私には理解できないかも?)、この本は小説なのでMaryの心情などはフィクションと思われます。

でもとても興味深かった! 男女平等や子育ての方法、奴隷制度についてなど、いろいろと考えさせられる本です。インディアンのことや奴隷制度のこと、もっと知りたいと思います。

実は我が家のPは(ということはつまりうたこも)ネイティブインディアンの血が少し入っています(お母さんの曽お婆さんだか何だかに一人います)。Pのお母さんとお兄さんは正式にその部族として認定を受け、インディアンの名前ももらっています。その点からも個人的に興味あります。

毎年Thanksgiving(感謝祭)のシーズンになると小学校からプリマスプランテーションに遠足に行くことが多いですが、今年もうたこは今月末に行きます。家族でこれまで2回行ったことがあり、前の学校からも2回行っているので、今度で5回目。初期のイギリスからの植民者、そして当時のインディアンの生活ぶりを再現してあり、とても興味深いところなので、まだ行ったことのない人はぜひ行ってみてください。私もこの本読んでまた訪れたくなりました。(以前行ったときのブログ記事はこちら→


もう一冊は『乞食の子』。


以前に出版翻訳の仕事をしたとき、言葉遣いについての注意をいろいろといただいて、その中で「乞食」というのは使ってはいけない言葉として挙がっていたと思うのですが……。衝撃的なタイトルなので目を引き、日本語学校の図書館から借りてきました。

台湾で物乞いの子として生まれた人の半生記です。お父さんは目が見えないために楽器の弾き語りなどをして施しを受けて生活をしており、お母さんは重度の知的障害があるのでこれまた仕事ができません。この人はその両親の2番目の子(上に姉がいる)として生まれ、幼いうちから両親と弟妹たちの生活のため、自分自身も物乞いに出て一家を支えます。屋外に寝たり、豚小屋で暮らしたりしながら10歳で始めて学校に入ります。学校のあと両親と幼い弟妹たちの世話、物乞い(10人分の食べ物をもらうのはとても大変)、そして夜遅くから勉強という日々を送り努力を重ね、今では工場長という地位を得て、結婚して家も構えています。

先ほどの『Flight of the Sparrow』でもインディアンたちが食べ物を探すのに苦労する様子が出てきて、私がいつも当たり前と思っていること(食べ物がいつもたくさんある、暖かい家があるなど)が当たり前でない人たちもいるのだということを改めて考えさせられました。(屋根のあるところで寝られない人たちもいるし、現代の日本やアメリカでもお金がなくて満足に食べられない人たちがいますね。)

よく「育ちがよい」とか「育ちが悪い」とか言いますが、この言い方、私はとても気になります。

以前、ちょっとだけ不定期に里子を預かったことがあり、「育ちが悪い」という言い方を聞くたびにその子たちのことを思います。小さいときから親に虐待されていたり、育児放棄されたりした彼女らはきちんとした家庭教育を受けているとは言えませんが、彼女らには何も非はないわけで、彼女らのことを「育ちが悪い」なんて絶対に言ってほしくはありません。(「育ちがよい」というのは褒め言葉なのでよいのかもしれませんが、私はそれでもその子らの顔が浮かんで切なくなるので、その言い方も好きではありません。)

この進(ジン)さんも乞食の子としてさげすまれ、結婚のときにも猛反対されます。貧乏な(貧乏の範疇を超えているくらいに貧乏)家に生まれて幼い時から働かなければならないだけでも大変(これも大変という言葉で言い表せないくらいに大変)なのに、さらにそのことで人からさげすまれたりののしられたり。踏んだり蹴ったりもいいとこですね。

またこの点でも先の本とかぶります。「だってあいつらインディアンなんだぜ」みたいな。「インディアンだから」「奴隷(黒人)だから」ひどい仕打ちをされても仕方ないなんて、現代の私たちからしたらおかしいのは当然ですが、今の私たちだって、程度の差こそあれ同じようなことをしているのではないか、じっくり考えてみたいです。

『乞食の子』は日本語学校にあるので(今週土曜日に返します)、日本語学校に行かれる方は読んでみてください。もっと努力して真面目に人生生きようと思わせてくれる本です。

2014年10月17日金曜日

フリーランスで働くということ

作家、柳美里さんが原稿料不払いのために休載を決められたそうです。(柳美里さんのブログ→

それに関連して、「コンテンツメーカーの待遇を早急に良くしないと、日本はどんどんつまらなくなるよ」という記事(→)も読みました。

私は作家ではないけれど、フリーランスという立場では同じ。翻訳料が振り込まれず、催促してようやく1/3だけ入ってきたこともあるし(そのあとはもう面倒であきらめてしまった)、出版翻訳の仕事をしたときにはあまりに安くて、時給計算したら絶対最低賃金下回ってたと思う。(でもそれはわかっていて引き受けたのでその出版社さんに恨みはありません。たくさん売れる本じゃないのでしょうがないのです。)

有給休暇がないとか会社でもらえる福利厚生のメリットがないとか、いろいろ不安定要素はありますが、いちばんの不安はいつ何時仕事がなくなるかもしれないこと。

私よりも優秀な人がたくさん出てきて私に仕事が来なくなる可能性もあるし、仕事の質はあまり変わらなくても私よりずっと安く引き受けますよとか、短期に大量できますよという人がいればそちらに行ってしまうだろうし、今たくさん仕事をいただいている翻訳会社が倒産しちゃったらとか、景気がすごく悪くなって翻訳外注する会社が激減したらとか、考えればきりがありません。

そして怖いのが自分の失敗。人間なので間違いを100%なくすことは不可能ですが、大きな間違い(たくさんすっぽり抜けていたとか、納期を間違っていたとか)があれば、たった一度でも今後まったく仕事が来なくなる可能性があるので怖いです。フリーランスって信用が勝負ですから。

実はほんの2日ほど前に失敗してしまいまして、表が切れていたのでそこでおしまいと思っていたら実は次のページに続きがあったという……。見直したときにも気がつかなかったんだなー。それで翻訳会社から夜メールが来ていたのだけど、もう私は寝ていて朝まで見ておらず、向うで対応してもらっていました。それなのに同じ会社からまた仕事の依頼をいただいて、感謝感謝です。「あの人に頼むと危ない」ってことになったら困りますから、もっと気をつけないと。

会社員でも自分の勤めている会社が倒産するとかあり得るので、フリーランサーだけが厳しい状況にいるわけでもないのですが、自由度の高い分、リスクも高い気はします。

とはいえ子どもがまだ一人では通学もできないなど今の自分の状況を考えると、今の働き方がいちばんよいのですけどねー。休みたいときに休むこともできるし(その分お金も入ってこないけど)。

これからも丁寧に仕事していきたいと思います。がんばろー。